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ナイルの歴史

「ナイルってナイル川と関係があるの?」「社長はエジプト人?」とか、様々な憶測がある当社。本当はどんな会社なのかよくわからないという皆様の声にお応えして、ここではナイル設立から今日までの歩みについてご紹介していきます。 残念ながら直接ナイル川との関わりは無く、社長も純粋な日本人ですが、志はナイル川の大きさに負けていません! まずはナイルヒストリーを読んでいただき、当社のことを深く知っていただければと思います。

ナイルの事業内容とは

SEOコンサルティングを組み合わせた効果の出るホームページ制作をお手伝いする会社です。

ナイルの歩み

2006年8月 千代田区霞が関にて設立
2007年7月 港区南青山に移転
2008年7月 南青山の同ビル内で移転
2019年8月 港区赤坂に移転

ナイルヒストリー

独立前夜、サラリーマン時代

2005年くらいから独立しようかどうしようかと考えながらサラリーマン時代を過ごしていました。実際に考えていたのはもっとずっと前ですが、会社の中でいろいろなことがあり、そのころから真剣に考えるようになりました。

2006年1月におこなわれた上司との面談でのこと。来月以降の目標設定の話になった際、なぜかこれから先同じ会社でがんばっていける気がしなくなりました。嘘をついてがんばりますという風にも言えたのですが、嘘はつきたくありませんでしたので、正直に今はモチベーションが上がらないと話しました。一応留意していただいて、あと3ヶ月は様子を見ようということになりました。

それから3ヶ月上司の皆さんには腫れ物に触るように接していただいて申し訳なかったのですが、やはり退職の意は変わらず、3月におこなわれた上司との面談でやはり辞めますと、そして転職ではなく独立して会社を起こしますとお話しました。 この面談以降、心のもやもやが吹っ切れて、起業に向けて前向きに活動をはじめることができました。

ラッキーだった創業期

起業の準備を始めてからはあまり時間がありませんでした。とりあえずオフィスをみつけなければと、レンタルオフィスを物色しました。当時勤めていた会社からお仕事をいただきたいと考えていましたので、できるだけ歩いて営業できるところがいいなと。 そんな時、ちょうど昼休みの散歩コースである溜池山王駅にほど近い場所にレンタルオフィスを見つけました。 虎ノ門にある会社にも近くこれはいいと、しかも住所が「霞が関」で、若干ステータスなんかもあるなと野望を抱きました。オープンしたてのレンタルオフィスだったため割引で入居できたのもラッキーでした。

独立してからは主にSEOとWEBデザインで食べていこうと考えていましたが、僕は本来ディレクターであり、ホームページのデザインなどは外部スタッフにお願いするしかないなと考えていました。そんな矢先、派遣社員として来ていたM君が辞めるというのを聞いてSOHOで仕事をお願いできないかと相談しました。が、独立の話をすると、自分も参加したいので出資したいと。資金に乏しい創業期にこれは非常にラッキーでしたが、人を雇う余裕など全然なかったため、急に資金繰りのハードルが上がってしばらく悩みました。

これ以外にも当時の上司や役員の皆さんからお仕事の発注を約束していただいたり、思いもしない人から資金面でサポートのお話しをいただいたり、人・金ともに恵まれ非常にラッキーなスタートが切れることになりました。

狭いオフィスとの戦いだった霞が関時代

霞が関のオフィスは3畳ほどしかなく、まさに狭さとの戦いでした。この空間に机とイスが二つずつ、大人が二人いれば相当な圧迫感です。お客様が来ても、誰か一人は立っているのが当たり前のオフィス空間。 窓の外は首都高でその向こう側に首相官邸が見える場所でした。駅からも近く、まさに日本の中心地とも言うべき住所でしたが、常にこの狭さがネックとなっていました。

当初は退職した会社からお仕事をいただいていました。資金のない時期にこの受注は非常にありがたく、6ヶ月で廃業する会社が多くある中で何とか生き延びてこられたのもこのお金のお陰です。今でもおつきあいはありますが、円満退職することの重要性を感じました。 しかし、常にお仕事があるわけではなく、また営業力もありませんでしたので、給与面ではサラリーマン時代と比べて見る影もありませんでした。何度か貯金も底をつきそうになりました。

そのころお仕事をいただけるようになったのがE社様です。E社様は前の会社を退職した先輩が転職した先の企業で、僕の独立を知ってお仕事を発注していただけるようになりました。その後E社様からは何度もお仕事をいただくようになり現在に至っています。

この間、SEOのお仕事も少しずついただくようになりました。実績が積み上がるごとに技術的にも改善が進み、大きな案件でも確実にこなせる実力がついてきました。

南青山への移転と思いがけない再会

設立から2年目になるころ、オフィスの狭さに耐えかねて移転を決意します。新たなオフィスを探しましたが、やはり都心はどこも家賃が高くてとても入居できませんでした。仕方なくまたレンタルオフィスを借りることにしていろいろ探しました。霞が関近辺が良かったのですが、あいにくしっくりいくところがなく、そんなとき青山一丁目のオフィスが空いているのを見つけました。家賃はガンと上がりましたが、デザインを生業としているなら青山にいた方が何かと都合がいいのではないかと野望が膨らみ、移転を決意しました。

移転の際に、知り合いの皆様にメールでお知らせをお送りしました。このメールで数年ぶりに連絡をくれた友人や思いがけず仕事を紹介してくれた仲間も。中でも知り合いのH社長宅が偶然斜め向かいの場所にあり、それが縁でお仕事をいただくようになりました。また徒歩30秒ほどのところには、以前僕の同僚だったOさんの転職先が偶然あり、これまたお仕事を紹介していただきました。 そういった思いがけない再会や懐かしい仲間に助けられ、徐々に実績も増えてきました。この時期、特にSEOに関する売上はWEBデザインに引けを取らない程になりました。ナイルの主要事業としてしっかり利益に貢献してくれるようになり現在に至っています。

2008年7月には同じビル内の少し広めのオフィスに移転し、さらに業務効率もUP。 今後も皆様に助けられながら、SEO、デザインともブラッシュアップを図り、すべてのお客様のインターネット事業をお手伝いしていきたいと考えています。