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Monthly Archives: 9月 2012

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やりたい仕事がない転職の話

大学の同級生

 

久しぶりに大学時代の友人と飲みでした。

ホテル、WEB、公務員、商社、鉄道会社、保険会社と業界は様々。

同じ教室で学んだはずなのに、たどり着いたところはバラバラ。不思議ですね。

 

当時どこの会社を受けたとか、誰々はどこの会社に入ったとか懐かしい話を聞きながら、就職ってなんだろう、やりたい仕事ってなんだろうと思いました。

 

世の中には就職先が選びたい放題で入りたかった企業に入り、やりたい職業につく人がいる反面、ほとんどの人たちは望んだ会社とはちょっと違う企業に入社します。

でも学生たちの多くは夢のような未来が待っていて、自分を磨けばやりたい仕事に就けると就職活動に励んでいますよね。

でも中年に差し掛かった僕がいま言えるのは。。。

 

「ほとんどの学生が思い描くやりたい仕事なんてどこにも無いぜ

 

ということです。

 

就活や転職の話になると、決まって語られるのが「自己分析」「やりたい仕事探し」です。

自分はどんな人間か、本当にやりたい仕事は何か?を徹底的に突き詰めて就職活動に臨むことが、幸せな会社人生を送れると言われています。

でもホントに?

 

自分のことを振り返ると、そんな就職ガイドに書いてあるようなことを突き詰めるのが良いのか疑問に思うことがあります。

やりたい仕事がわからないという学生や第二新卒の皆さん、そもそもやりたい仕事がないという方も多いと思いますが、

ぜひ僕の体験を読んでほしい。

やりたい仕事がないのは普通のことで、やりたい仕事を見つけるためには、

こういう生き方もあるってことを。

 

 

入社した会社を一日で辞め、ブラック企業に転職

僕はもともと学生時代は編集やライターがやりたい仕事だったのですが、成績も良くなかったし、マスコミ関係は競争率が激しすぎて最初から諦めていました。

そんなわけで、なぜか最初に就職したのは薬局でした。

当時は毎日段ボール箱を担いで棚に品物を配置してお客さんに愛想良くしている仕事が自分に一番向いていると思ったのです。

しかしこれは大間違いでした!

 

そこで働く先輩社員と話しているうちに、僕とは全然違う人種だ!これは自分のいる場所じゃない!と思ったのです。

何しろまったく話が合わないし、体力勝負な点も想像以上に無理だなと。

しかも本社で働けるのも店舗で5年修行してからという決まりまりでした。

今考えれば当たり前といえば当たり前ですが、堪え性の無い当時の自分は、5年経ったらじじいになってやり直しが効かなくなるんじゃないかと焦ったのです。

 

僕はこの会社を一日で飛び出します。

今考えると、これが流浪の転職人生のはじまりでした。

でも、やりたい仕事ではなかったのです。

 

その後いくつかのバイトを経て、25歳のとき実家のある島根に帰ることにしました。

都会で働くには自分は能力無さすぎだし、満員電車で長時間立っているのも性格的に無理!と思ったのです。

地元に帰ると、ハローワークでみつけたシステム会社で面接してもらい、営業の仕事をやることになりました。

特にやりたい仕事ではありませんでした。

小さな会社でしたので、営業に留まらずに求められることは何でもしました。

総務や経理はもちろん、資金繰りのための銀行との交渉もやりました。

トイレ掃除や社長の留守中には赤ん坊の世話もしました。

社長がいきなり支社を作ると言い出したので、兵庫県まで行ってほぼ一人で支社を立ち上げました。

債権者がよく訪ねてきたので玄関口で謝るのも僕の仕事でした。

払えるはずがない請求書に払えますと平気な顔で嘘をつくのもうまくなりました。

深夜2時から出勤!とかも普通にありました。

とにかく何にも実績がない人間だから、ブラックなことでもやりたい仕事でなくても、やらなければいけないと思ったのです。

 

知り合いの会社でメンターと出会う

ある日、知り合いの会社に運転資金の借金をお願いしにいきました。

相手は海千山千の人物Aさん。

お金を貸す方としては、僕が営業マンとしてどんなポテンシャルがあるのかは気になるところです。

「君は何ができるの?」と聞かれましたが、本当に何もできない人間だと思っていたので、真面目に「カフェでバイトした経験を活かしておいしいコーヒーをいれられます!」と言ったら苦笑されました。

当然お金は貸してもらえません。

ただ僕が勤める会社に時々仕事をくれるようになりました。

 

仕事で顔を合わせることも増えてAさんの言われるがままに、いろいろ勉強することにしました。

あの本を読んでおきなさい、この知識は必要だから勉強しなさい、と言われれば全然興味が無くても勉強しました。

このイベントや展示会は有益だから見ておきないさい、と言われれば全然興味がなくても飛んでいきました。

勉強したことや見たことはそのままにしませんでした。

後日Aさんに会ったときに、自分はこう思った、自分ならこうするという具合に感想を話すようにしました。

アホだと思われないように必死でした。

なんで他社の自分をこんな風に面倒みてくれるんだろうと不思議に思っていました。

後に、「君の中に他の人にはない個性を感じたから」と言われました。

これはグッときますよね。僕は若い頃にこうしたメンターを偶然見つけて、ついていったので今の自分があると思っています。

 

それはさておき、

 

当時ホームページとか自分で作れたらすごいんじゃないかと思って勉強していました。

やりたい仕事を見つけたわけではなく、作れたら単純にみんなにスゴイと言ってもらえそうな気がしたのです。

しかし、今みたいにマニュアル本もなく、簡単につくれるソフトもありませんでした。

いちから作り方を勉強するしかありませんでした。ていうか自分文系だしPCさえ触ったことがなかったので無理でしょう。

周りに教えてくれる人がいませんでした。

当時やっと携帯が普及しはじめたばかりで、インターネットにアクセスできる日本人は全体の1%に満たない時代です。

本を買って読みましたが99%意味がわかりませんでした。

今なら1分でできるようなことに1ヶ月間頭を悩ませました。

はじめて自分で作ったホームページが表示されたときのあの感動!

しかし、これが自分のやりたい仕事かどうかはまだわかりませんでした。

 

メンターの会社に転職。何もできないからなんでもやる。

半年後、そのAさんの会社で働かないかと誘われることになります。

イベント企画会社でした。

自分とは縁がなく遠い世界だしやりたい仕事でもなく興味もない分野でした。

でも、きちんとした会社の偉い人が僕みたいなダメな人間と一緒にやろうというんだから、行かなければいけないと思いました。

誘われるまま転職することにしました。

 

しかしここでも先輩社員が「君は何ができるの?」と尋ねてきました。

後で気づきましたが、人と違う「何か」を持っていないと生きづらい会社でした。

だから何ができるのかを最初に問われたのだと思います。

さすがにおいしいコーヒーをいれますとは言いませんでしたが、

資金繰りが得意です、謝るのが得意ですとか言っても認めてもらえません。

 

そんなわけでここでも、何もできない君としてスタートしました。もちろん正社員ではありません。

自分みたいな出来ない子が正社員なんてめっそうもないと思っていました。

契約社員で給料がもらえるだけでもありがたいと思っていました。

とりあえず上司や先輩について回る毎日。どこにいっても意味不明の単語が出てきて、毎日凹んでました。

ファイバートゥーザホーム、マルチメディア、デービー・・・

研修なんてもちろんありません。誰も教えてなんかくれません。

絶対的に、これはやりたい仕事ではないという感覚だけはありました。

 

しかし、何にもできないので先輩の書類や荷物を車で配達する仕事もしました。

社員の中には、面と向かって「お前はお荷物だから」という人もいました。(泣)

自分で稼ぐ能力がない人間はそういう風に見られる会社でしたので、切れそうになりながらも歯を食いしばって働いていました。

ここでも本を読んでおきなさい、あの展示会を見ておきなさいと言われましたので勉強しました。

イベント会場のADをやれと言われればやりました。

文章を書けと言われれば書きました。

運転手をやれと言われればやりました。

ポスターを作れといわれればやりました。

ゲイバーで接待しろといわれればやりました。

 

やりたい仕事はどこにもありませんでした。

 

今につながるインターネットとの関わり

ある日、会社の入っているビルの中にケーブルを引いて、どのPCからもインターネットを見れるようにして、と言われました。

頭の中が??でした。

インターネットが商用化されたばかりで社内で素人がLANを作るという発想はあまりない時代でした。

今でも複数のフロアにオフィスがあるような会社なら電気工事屋さんとかにお願いするでしょう。

しかも今みたいに解説書もなく、ケーブルを挿したら勝手にネットに繋がるほどパソコンも賢くありませんでした。

会社に行く前になると憂鬱になってお腹が痛くなりました。

当然やりたい仕事ではありませんでした。

 

仕方なく米国のサーバソフトを買ってきて全部英語で意味不明でしたが、会社にあった古いAppleのPCにぶちこんでなんとかセッティングを終えました。

その間、近所のベスト電器を何往復もしてケーブルを買いに走りました。

オフィスの1階から3階までケーブルを引く配線工事も自分でやりました。

埃まみれで電気工事屋になった気分でした。これが将来何につながるんだろうと考えると暗澹たる思いでした。

 

でも、社内ではお荷物扱いの自分が、やっと他の社員にはできない「何か」をやっている感動がありました。

はじめて全社員のパソコンにインターネットが繋がったときのあの感動!

顧客名簿がどのPCからもWEBで閲覧できるようになったあの衝撃!

社員がメールでやり取りできるようになった革命的出来事!

 

とりあえず前年にスタートしたヤホー、いや、Yahooにアクセスしてホワイトハウスのホームページを見にいきました。

アメリカが目の前にある!(笑)

 

そんな時代でした。

 

21世紀は目の前。すごい時代がやってくる!なんて思いました。

インターネットが自分のパソコンで見られるなんてすごいね、とみんなが言ってくれました。

 

でもこれが将来何に繋がるのかなんてわかりませんでした。

やりたい仕事がないのは変わりませんでした。

 

そのころからネットの知識を買われてホームページ制作の仕事をやるようになりました。

ただ、どうやって制作を進行するかわかりませんでした。

デザイナーと話しても彼らの話す単語のほとんどが理解不能でした。世の中には違う人種がいるもんだなと思いました。

周りに誰も知っている人がいませんでしたので、我流でやるしかありませんでした。

いつも何かが間違っているような気がしました。あの頃のお客さんごめんなさい。

お客さんと話すのも苦手だったので、打ち合わせが終わると、この仕事もやりたい仕事ではないという気持ちがふつふつと沸いてきました。

 

メールマガジンとの出会いとやりたい仕事の再確認

そうこうしているうちに入社から半年があっという間に過ぎていきました。

ある日、上司から新会社を立ち上げるから社長にならないかと打診されました。

WEBの会社だから君がやりたいなら社長にしてあげるよというのです。

あまりの急展開に驚きましたがうれしくもありました。

上司は僕の中に普通の人にはない「何か」を見つけたんだと思いました。

 

でも社長は最高の営業マンである必要があると思っていましたので、営業嫌いの自分には絶対ムリだなと悟って、お断りしました。

やりたい仕事ではないからです。

でもあの時、社長になっていたらどうなっていただろう、と時々考えます。

今となっては味わえない極上の失敗と感動があったかもしれません。

 

社長になることをお断りしてから、急速にその会社に居づらくなりました。

みんな目的を持って働いている人たちばかりの会社でした。

なので、無目的の自分がいる意味が無いような気がしたのです。

何のために在籍しているのか?という疑問が1日中頭を支配しました。

 

その頃、メールマガジンなるサービスが日本ではじめて始まったことを知りました。

今でもたくさんありますが、興味のある情報をメールで受け取れるサービスです。

それを個人で発行できるというのは当時は画期的で、ものすごい衝撃でした。

自分もやってみるかと、土日を使って映画の紹介メールマガジンを始めることにしました。

なぜか僕が書いた文章に引き込まれるという人が全国からたくさん応援のメールをくれるようになりました。

今みたいにみんながネットをやっている時代ではなかったせいか、

ニフティが運営するエンタメ系メルマガ部門で、あっという間に日本一の購読者を集めました。

 

正直世の中はチョロイなと思いました。

趣味で作ったサイトもいろんなPC雑誌で取り上げられ、有頂天でした。

はじめて掲載されたときはうれしくて書店で3冊購入しました。

人に自慢する用、自分で眺める用、保存用の3冊です。

もしかしてこれが自分のやりたい仕事なのではないかと思い始めました。

 

そんなことをしているうちに、こんなにみんなが僕の文章を好きなら筆一本で生きていけるんじゃないか?

と勘違いが始まりました。

そういえば、学生時代は編集の仕事をやりたかったなと思い出して、ライターになることにしました。

うまい具合に会社の先輩が東京の出版社を紹介してくれるという話になりました。

 

そんなこともあり、当時勤めていた会社ではいろいろ勉強させてもらいましたが、退職することにしました。

同僚はみんな止めてくれました。

しかしクリエイティブな仕事をするなら27歳までに始めないと無理だと上司から言われていたのでとても焦っていました。

当時すでに27歳でした。

このままでは自分は普通のサラリーマンで終わってしまう。

いや、普通のサラリーマンがダメではないですが、自分は普通のサラリーマンはやりたい仕事ではないと考えいていました。

 

そんなことを思うと居ても立ってもいられませんでした。

サラリーマンになってしまえば、脂ぎったスーツを引きずりながら同僚と新橋の赤提灯で会社批判をするだけのおっさんになって一生後悔するだろうと。

 

再びの上京。極貧生活のはじまり。

上京すると東京支社にいた先輩社員に連れられて出版社を尋ねました。

編集長に会わせてもらいましたが、僕のいき過ぎた年齢とまったくの素人であることを聞くと渋い表情になりました。

「無理だ」と言われました。

編集の仕事は人気の職種、マスコミ志望の子がみんなやりたい仕事だから無理もありません。

激しい競争率の中、一流大卒がごっそりいるところにド素人が中途でいきなり入れるほど甘くはありませんでした。

 

でも自分だったらできるような予感がしたのです。

無意味な自信。

でも、僕はこの無意味な自信を信じることこそ、人が生きていく上でとても大切で、しかし軽視されがちなマインドだと思っていたのです。

 

とりあえず無理だから田舎に帰りなさいと諭されました。。

やりたい仕事に近づいたと思ったのに。

都会ってきびしー。

 

とりあえず工事現場とかで働きながらバイトの口が空くのを待つ覚悟があるかと言われました。

そんな覚悟は全然ありませんでしたが、とりあえず「あります!」と言って帰ることにしました。

バイトの欠員が出たら連絡するからと・・・。

それから約1年間、工事現場で警備員をしたり、ネットカフェの店員や宅急便のドライバーをしながら生活しました。

アパートの家賃も滞り気味で、隣に住む大家さんに足音をきかれないようにそっと帰宅する日が続きました。

遠距離恋愛していた彼女にも・・・振られました。

お金が無いから毎日キャベツばかり食べました。気がついたら体重が10キロも減って54キロになっていました。

他にも50社くらい出版社の採用情報に応募しましたが、すべて書類選考で落ちました。 当たり前か。。

以前はあった自分だけの「何か」みたいなものはすでに消えてしまっていました。

無意味な自信もなくなりました。

やりたい仕事につくのは難しい。普通は新卒時に気づくよね。

気がつけば28歳になっていました。

 

 

そのころ、バイトの合間にアメリカ人向けに日本の書籍を紹介するサイトを作りました。

日本人相手より英語圏の人を相手にした方が儲かりそうな気がしたからです。

ある日そのサイトを見つけた米国の広告代理店からメールがきて、アソシエイト・プログラムなるものをやらないかと誘ってきました。

アソシエイト・プログラムは今ではアフィリエイトといってネット通販のamazonが96年に世界に先駆けてはじめたサービスです。

簡単に言うとamazonの広告を自分のサイトに載せるとお金がもらえるみたいな仕組みです。

今でこそ日本人の100万人がやっていますが、当時の日本で参入している人はいませんでした。

その米国人いわく、日本でアフィリエイトをやっているのはまだ5人くらいだぜ!という話でした。

5人ならすぐに日本一になれる!就職はやめてこれで食っていこうと決めて

テンションはMAXでした。

これが新たなやりたい仕事かもしれない!

 

とりあえずドラゴンボールとか日本の漫画は外国人にも鉄板だろうと思い、サイトで紹介しました。

当時はネットでそんなことをする人間があまりいなかったせいか、僕のサイトでマンガや書籍を購入する人が結構いました。

「HELLO! USAにない漫画を探してくれないか?」

というような問い合わせも海外から来るようになり、このままこれで食っていけるんじゃないかと本気で思いました。

 

しかしよく考えたら自分英語がまったくダメだし、日本のサブカルチャーについての知識も興味もあまりないので、他人に紹介文を書く程の技量がないことに気づくことになりました。

これもやりたい仕事ではないなと。

 

出版社への転職

などと軽く挫折を繰り返しているうちに、今では上場しているある出版社でライターの試験を受けることになりました。

しかも出版とネットの融合をやろうとしているとか、自分にぴったりじゃんと喜び勇んで面接に臨みました。

しかし、会場につくと人事の人が出てきて渋い顔。

実は手違いで一次面接はずっと前に終わっていると。。。

今日は最終面接の日だというのです。

 

とたんにどんより暗くなりましたがそこに光明が。

システム運営者ならまだ募集していると。

履歴書に「会社のLANを作ったことがある」と書いた一文を取り上げてくれて、とりあえず会うだけあってあげるということになりました。

ていうかそっちのミスじゃんと思いつつ拾う神ありでした。

でもシステム運営者になんかやりたい仕事ではないんだけど金のためには仕方がない!

 

というわけで、面接会場にやってきたシステム課長という方に事の成り行きを説明しました。

最終面接にお呼びでないのに突然現れた自分はシステムに詳しくはないけど、せっかくライターの面接を受けに来たんだし、作文が上手だからなんとか作文だけでも書かせてもらえないかという感じで懇願。

 

課長いわく「ええよ」

え?

というわけで、作文だけ書かせてもらうことにしました。

テーマが自由だったので、自分のドツボの境遇を井戸の中の蛙に例えて世の中を恨む暗い作文にして提出しました。

 

3日後、その会社に採用されることになりました。

肩書きは「ライター」になっていました。

俺ライターになったんだ、とちょっと感慨深くなりました。

28歳未経験、職業ライター(正社員)。

仕事はあきらめない人がつかむんだなと思いました。

 

やりたい仕事はどこにもないけど、幸せにはなれます。

あれから10数年。

今はライターではなくWEBの仕事をしています。

世の中で働いている人たちも、学生時代に夢見た仕事に就いているというのはほんの一握りでしょう。

でもだからって100%不幸なわけじゃありませんよね。

会社の中に可愛い子がいたり、同僚に話しのわかるやつがいたり、意外と面白い仕事をやっていたり。

若い頃は自分のやりたい会社に入れなかったり、やりたい仕事につけないなら人生は終わったようなものだなと思っていました。

 

でも最近思うのですが、やりたい仕事なんて結局どこにも無かったなということです。

言い方が悪いかもしれないけど、目の前に出された仕事をがんばってやっていたら、いつの間にか今の場所にたどり着いていたということです。

目の前に出された仕事をやりつつ、自分はもう少しこういうのがいいなとか、こっちは嫌だなとかジグザグ歩いているうちに今にいたっているのです。

 

だから、学生時代の自分に今何かを言えるとしたら、こう言うでしょう。

 

 

お前そんなスペシャルな人間でもないし、 世間受けが良くてやりたい仕事なんて一生見つからないから、

プライド捨てて目の前に出されたクソみたいな仕事でも一生懸命やれっ!

 

そんな感じ。

それでも幸せに生きることは可能ですから。

僕がそれを証明しています。

 

 

そういうわけで、本日は学生時代の友達とあったので、働くことについて様々に思いを巡らせました。

 

ではまたー。

 

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